コボット達の増殖に圧され人間の住まう場所は狭まってゆくだけなのか。
悲観とは別物の命運を想う気持が強まる。
人生の折り返しを過ぎた中高年以上の面々は、いかなる明日が到来しようと受け止めて認める覚悟が必要だ。なぜなら現状を招いた当事者だからである。自分で蒔いた種の発芽物から逃避したり無関心を決め込んだりは許されるものではない。
自身の来し方が今と今からをもたらしたのだと、すべて認めて受け入れなければならない。
望外に長い連載となっている。
急速なAI普及と自動化猛進など、利器依存への危機感や憂う心情にいつわりないのだが、かといって絶望や無為を決め込んでいるわけでもない。
われわれが抱いているさまざまな心情――現在の世相や方向性への賛否――に対する解答は、おそらくきっと過去にあるという気がしてならない。
それを寄る辺とできるのではないかという期待が、動転や悲観を和らげてくれる。
コボットの改良と普及がすすめば、人間の仕事は減るいっぽう――現場ではほぼなくなるかもしれない――が現在の一般論だ。
総論に異を唱える者はいない。しかしその業務光景の中で働いている自分自身の姿を具体的に思い浮かべる者もほとんどいない。
そんな想像を働かせるほどの造詣は持ち合わせないし、自動化や協働ロボットのいる現場やバックオフィスでの働きかたなど考えたくない――が大多数の本音ではないのだろうか。
PLANET OF THE APES (猿の惑星)は全5作シリーズの第1作が1968年に封切られ、後続のSF映画に今もなお大きな影響を与え続ける偉大な名画だ。
その詳細な説明は蛇足にしかならないだろうから割愛しておく。
本稿を書き始めるにあたり最初に浮かんだのは、未来のとある惑星に不時着したテイラーが視た光景。さらには水先案内人の役割を担うジーラ博士とコーネリアスの戸惑いや猜疑。
そして最後の場面で明らかになる「本当のこと」だ。
Collaborativeと銘打たれたロボットの特性――その本質は協業を第一義としている。
実稼働の幾種かを少し知る程度でも、すでに秀逸な機能やさらなる拡張性を疑う気持は霧散してしまうだろう。
「今でもこんなにすごいのに、さらに開発が進んでゆけば・・・」と感嘆の声の先に言葉を継げないのは、私だけではなさそうだ。
物流業務に限ったことではないが、人間は同じまちがいを繰り返す。
いつの時代でも、「かつてない出来事」や「前代未聞の不祥事」「有史来の逆境」などと、大仰な言い回しで目の前の現象を表現するが、その大半は歴史や履歴や沿革などの不勉強や短絡な思い込みに過ぎない。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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